上昇負荷

産声とともに一度歯車が回り出したらもう誰にも止められない。

後ろを振り返ることはできても、もう二度とその時と全く同じ空気、感覚、温度、感情、は戻ってこない。

砂浜をなぞって浮かび上がらせた出来合わせの絵や文字が波に飲まれて次第に薄くなっていくのは、なんだか寂しい。

闇から目が覚めて、ふらついた顔で見上げた先に人生の最高があったとしても、ほんの少しだけ未来に目線が逸れただけで、涙が溢れてくるよな。

未来に進んでも最高だった瞬間との繋がりは切れることなんてないんだろうけど、欲しいのはそんなものじゃない。

目線を合わせた時の、何かとひとつになった時の感覚しかいらない。

けど、記憶だけではその感覚を再現できずに、ひとり、真っ暗なスクリーンを見つめる。

今まで何度、この感情を乗り越えようとしてきただろう。

乗り越えたと思い、勇気を出して足を踏み出した瞬間にまでも、感覚の喪失がつきまとう。

その失った感覚を強く求めすぎると、負荷が襲ってきやがるなあ。

やっぱり、シッダールタのようにガンジズを見つめて、喪失の哀しみを魂の全てで受け入れるしかないのかもしれないね。

そして、現実に対して鋭い視線を投げ続けること。

目の前のスクリーンに映る映像が現実ではない、射影機を握るその瞬間こそが現実なのだ、というあの言葉を魂の全てで信用できるようになりたい。

そうできれば、喪失の先の未来は怖くなくなるかな。

今は、その言葉への信用と、未だ確かに存在する喪失への恐れと、五分五分だな。

未来を見つめたい気持ちと、寂しさと。