乱雑

生き物はいつか命が絶えるってことを認知したのは確か保育園の頃だった。

数多の会話を交わしたはずなのにその断片の記憶しかないけれど、悟ったように優しい目をしたおばあちゃんが息絶えたと聞いた時には、周りの人々の悲しみに囲まれながら独りでぼーっとした感情になっていたような。

あの刹那、もう一生あの温かい手に触れることができないということを直感か誰かがそっと教えてくれていたらどんなに良かっただろう。

焼かれ際に勇気を出して至極控えめに握った赤みの抜けた掌は、永久に抜けない感触を激しく脳裏に打ち付けた。

 

冷たい。

 

倦怠から殺されかけながら逃げ込んだ甘い香りのする小説の中で、Kの、ハンスの、ストリックランドの美しい死に際の情景を繊細に頭の中で描写する度に、恐怖心さえ顔をのぞかせるようなあの冷たい記憶がつきまとう。

 

死ぬことって恐怖??

 

唐突に此岸の水辺に立たされる状況に陥った時には如何なる反応を示すのだろうか。

 

身の毛がよだつほどの恐怖に脳を占領され、たいそう滑稽な有様で生に縄をかけようと試みるのか。

ある時、身近な人がすぐそばまで迫ってきた天使を然もそれが殺人犯であるかのように酷く拒むのを目の当たりにして、冷たくなってしまうことに恐怖を覚えた。

ずっと熱を帯びていたい。

美しい光を、美しい色を残すんだ。

フォロワーは要らない。

けど愛人は要るよ。グラスをカチッて鳴らしあう相手は必要じゃん。

 

それとも静かに瞼を下ろしながら苦しみからの解脱に身を委ねるんだろうか。

冷たい冬の雨を小さく開けた窓から覗くと静かに消えたくなるんだ。

遠い異国の占い師でも、さっきの帰り道にすれ違った女でも、誰でもいい。

「お前は30で死ぬよ」って、それだけ言い捨てて足早に去ってくれないか。

そしたらそれまでアブナイ旅をして荒んで荒んで荒んで欲を満たして光の反射を現像して最後にヘミングウェイの『日はまた昇る』を読んで奥まで陽の当たる部屋で紅茶を淹れて今日のは少し濃すぎたねって言いながらくたばるのにな。