苟且
美しすぎて涙がこぼれそうなほどの青空と乾いた空気を打ち鳴らす蝉の声を感じ、あゝ夏到来。
ちょっぴりと塩分の混じった風に吹き付けられながら運転する。胃の中と脳みその中がぐるぐるごちゃごちゃと回転している。これはギリギリ飲酒運転かも...
晴れ渡ったこんなにも素晴らしい祝日なのに車は遠慮なく列に割り込む。
me first !!! me first !!! me first !!! me first !!! me first !!!
みんな急いでいる。
きっとこんな人たちがネット上にあるくだらない音楽レビューの掃き溜めを作っているんだ。
けど急がないと周りの流れからは置いてけぼりをくらう。
急げだの早く決めろだのとせかす大人が大嫌いだった。
そんな大人にだけは殺されたくない。
実家のリビングにいるだけで心がどうしても落ち着かなかった10代後半の俺は、歩きで20分離れた親戚の家に頻繁に遊びに行っていた。
自転車に乗らずに徒歩でいつも来る俺に向かって、そんくらいの時間感覚で生きるといいね、と言ってくれたのを覚えている。
迷った時にはこんな大人の言葉を信用したい。
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初秋、カラスの鳴き声が響き渡る。川辺には夕日に染まったススキが。
黒とオレンジの対比が、普段は嫌われ者のカラスを一瞬だけ美しく見せる。
門限を守らなきゃ、という自分ともっとふわふわと遊んでいたい、という自分との戦い。
けれど友達の家のキッチンから漂ってくる夕飯の香りは何かしっくりとこなくて、わざとゆっくりと、わざと幾度もリュックの中身を確認したりして、帰途につく。
心がざわつく少年時代の思い出。
少しすると綺麗さっぱり消えてしまうからこそ、尊いと思えることができる。
今目の前にあるガラスの灰皿は、どんなに細かい細工を施してあろうとも、美しいとは思わない。
ただの腐った憎悪や悩みや落ち気の溜まり場だ。なのにどうして、そんなに汚れるためのみにあるものをどうして飾りつけようとするのだろう。
ヨーロッパの石畳や石像は、どこか陰気臭くて影がつきまとっているような気がして、あまりずっと眺めていようとは思わない。
けど
昨日、高アルコールのビール缶を開けながら海辺で見た花火の、生花のような美しさ。
偶然が作用して形成された雲の形の美しさ。
いつもの道に咲くパンジーの死に際の美しさ。
こんな、ほんの数秒であろうと、数ヶ月であろうと、短い時間が過ぎれば失われてしまうものをしゃがみこんでじっと眺めている瞬間がとても尊い。
ベッドで他人のカラダを美しい、と思うのもこれと似たようなものかもしれない。
脳が幸せなのはほんの一瞬だ。
その一瞬の美しさを求めて、生活に励む。