車と音楽

台風が近い中、飛行機に乗って大好きなバンド、尊敬する人を観に行った。

まだ梅雨前だというのに、すっかり梅雨を通り越したような空に覆われていた。

会場から数百メートル離れた駐車場にレンタカーを停め、豪雨のように降りしきる太陽光をかいくぐりながら、騒々しく賑やかな公園や、梔子の花壇の横を通り抜けて会場へと向かった。

この青い空はどこまで続いているのだろう?

灰色の空との境界線はどこにあるのだろう?

なんて思いながらビールを手にはしゃぐ友達を横目にずっと遠くの方を眺めていると、2機の戦闘機が地上の小人をからかうように轟音を引き連れて接近し、か弱い笑い声や、洗練された甘美な薫りを、瞬く間に吹き飛ばした。

失われたそれらを拾い集めて昼下がりの平和を取り戻そうとしたが、潮風に乗ってさらに飛ばされてしまったか、足許の真っ白な砂に埋もれてしまったかで、そのかけらすらも取り戻すことができなかった。

ただ思い返してみると、平穏をぐらつかせた轟音の最中でも、会場から漏れるバズドラの音と野太い咆哮だけは途絶えていなかった。

音楽は何物にも屈しない。

捨て身の存在だから。

誰だって、音楽から捨て身の体当たりを食らった後は、何も聴いてなんかいられない状況を経験したことがあるだろう。

良いものを経験したからこそ、無の世界へと向かいたくなること。

今回も、それに違いなかった。

それなのに帰りの車中、友達がレンタカーのスピーカーからチープな音量で音源を流しては歌詞を口ずさんでいる姿を見て、

「こいつ刺し殺してえ」

という言葉が脳を一瞬掠めた思い出。

 

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他人と深い関係を築こうとする時、何か共通の趣味嗜好を持っているということは絶対条件であり、それが音楽や小説の類であれば尚更関係が強固なものとなることが多い。

現に、俺の狭い狭いマイノリティな音楽的趣味に共感してくれたことがきっかけとなって関係を築いたことが幾度となくある。

それに、これはいつか一緒に寝ることになるな、と出会った瞬間感じられるほどのオーラを全身から醸し出している人は、そんな共通の何か、お互い目を見開いて語ってしまうほどの何かを持っていることが多くある。 

また、他人の車に初めて乗った時なんてのは、まず流れてくる音楽に耳を傾け、その人が味方かそれ以外かを判断してしまう。

この間も初対面の人の車に乗せてもらい、近場へ買い物へ行った。

前日のアルコールが未だ食道にその足跡を微かに残していたのに、今にもなだれが起きてしまいそうな空模様があいまって、たいそう気分が悪かった。

こんな時にKORNでも流れてくれたら、Jonathanの憂鬱な叫び声が吐き気を大気中へ葬り去ってくれるのに...

RAGEでもいい。ステージ上で星条旗に火をつけていたように、吐き気を燃やして消し去ってほしい...

しかし車中に流れたのは、EXILEだった。

殺してやろうかと思った。

あの醜い顔面は、今でも鮮明に脳裏に描くことができる。

刺殺がいい。

RISING SUNを我が物顔で歌い散らかすそいつと同じ空間にいると思うと、胃がムカついてきて吐き気が食道を遡り、悪態と憎悪に満ち満ちた車の窓を開け放ったと同時に、紫の胃液をアスファルトに撒き散らした。