未完成

雨季。コルカタ

長いトランジットを乗り越えてたどり着いた空港にある唯一のATMの画面に映し出された"out of service"の文字。手抜き工事がもたらしたスコール後の洪水。いたるところに吐き出された赤い唾液。地面に這いつくばって金属の小銭入れをカンカンと打ち鳴らす明らかに栄養失調の乞食。誰も何も気にしない。下手に、安く身を飾り付ける。子供はガンジャと叫ぶ。貧しい犬は尻尾を追いかけ回す。

矢継ぎ早に飛び込んでくる光景の全てが狂っていて、ふざけている。

川辺では、ただの熱を持たない物質となった遺体が次々と運び込まれ、燃やされる。遺体が灰になる光景を間近で見据える。煙を吸い込んでしまった。吐きそう。熱波が遠慮なしに押し寄せる。皮膚が溶けそう。完璧を求めない世界で生きるのはとても羨ましいけれど、その先に、非の打ち所が無い完成形が人生の到達点として存在するのも羨ましい、と思った。死んだ彼彼女らは、竹で組まれた担架から頭がこぼれ落ちても、上から無造作に薪を放り投げられても、クリシュナと共にあった。死という儀式の完成形を見た気がした。クスリとかいう姑息な手を使って命を切るのではなく、川に身を沈めてゆっくりと自然の一部となりたい。焦点の定まらない虚ろな目で大河や人間を見つめるサドゥーは、何を思っているのだろう。写真で見てほんの少しだけ憧れの気持ちを抱いていたサドゥーだけど、実際に目の当たりにすると、一般社会の歯車に組み込まれることを全力で拒んだ姿の行く末としか思えなかった。結局皆輪廻にしがみついている。乞食だって、作られた悲しみの表情を浮かべて金をせがむだけで、何も生み出そうとしない。けど、労働で擦り切れてしまうことに我慢ならない気持ち、分かる。そんな生活、いつか破綻するもんな。理解し得ない人間より、理解し合える人間と、必ず終わりの来る都会より、永遠に語り続ける自然と過ごした方がいい。そんな直感だけを手繰り寄せて完成形と一体になろうとする彼らはすごい。俺にはそんな勇気はない。サドゥーなんていう選択肢があるなんて、初めて身を以て知った。知った今でさえも、お金や食べ物、身体の心配をしてしまう。サドゥーとして生きれば、欲なんかよりももっと気高い幸せを手に入れられるだろうか。サドゥーとして生きれば、神と溶け合うことができるだろうか。しかし彼らは緑の煙を吸い込まなければ神と対話することができない。他の物の助けを借りなければ、心へ沈んでゆくことができない。こんな姿は紛い物だって、みんな気がついている。どこへ行ったって、いくら何を見たって、どれが自分にふさわしいかなんてわからない。またいつものように頭を空っぽにして、重い心臓を引きずりながら、迷い、歩いていると、ガートでは夕方の儀式に向けてムードと緊張が高まっていて、空気の色や重みがそこだけ異様なのを見た。儀式を眺めてみようと思って空いている席を探していると、知らないおじさんが無言で手招きしてくれたり、見晴らしの良い席が空くと、お前はここに座れ、とボディランゲージで言ってくれたりして、なんだか泣きそうになった。きっと何かを考えすぎて心が弱っていた。石の階段に腰を下ろして、宗教の壁なんかいとも簡単にすり抜けるほど偉大で神妙な祈りが脳を揺らし、それに共鳴して心臓が揺れるのを感じながら、こんなふざけた国で、大した不安やふわついた感情を伴わずに、5分前に人を殺してきました、みたいな目をした浮浪者を眺めてみたり、裏では犯罪がうごめいていそうな夜の街に繰り出してみたりできるようになった自分の姿がフラッシュバックしてきて、やっと少しだけ強くなったのかな、と思った。