金剛石

雨季で観光客が少ないせいか、この日は広いゲストハウスに泊まっているのは俺一人だった。

月がいちばん輝く時間帯を見計らい、自然とつながるべく、独り建物の屋上へと向かった。

辺りには、瞼を閉じても入り込んでくる強すぎる街灯の光は皆無で、暗闇にしっとりと溶け込んだ月明かりに促され、ゆっくりと目を閉じた。

途端に心臓からものすごい勢いでエネルギーが送り出され、右脳へと向かういつもの作用が戻ってきた。

首の筋肉は、速くて力強いエネルギーの流れに逆らえずにいた。

頭蓋骨のてっぺんまで達して行き場を失った黄緑の流れは、煙へと変わって空虚な鼻腔や口腔に流れ込んだ。

ずぶ濡れになった脳味噌は黄緑色の海となり、南国の波が立った。

時間なんてものはとっくの昔に消え去っている。

この旅の目的は、時間を消し去ることだ。

たった数時間、時間から解放されるために、長い時間を労働に割き、長い時間飛行機や電車で眠りこけ、夢に魘されながら小さな街へ留まる。

これって矛盾していやしないか。

けれど、こんなことでしか本質的な幸せを手に入れることができないんだ。

幸せな時間を手に入れるって、なんとも効率が悪いことだろうか。

貴重な時間をたくさん犠牲にして、我慢して我慢して、時間を消す旅に出る。

やっぱり矛盾している。

人生は矛盾しているな。

人間は矛盾している。

世界は矛盾している。

しかし目の前ではガンジス川という完成形に達した存在が絶えず今を生み出し続けている。

なんだ、これも矛盾だ。

虚ろでフラッフラな視線を移すと、非の打ち所のないほど美しい大木が、その美しさを誇示することなく、かといってその美しさをベールで覆って隠してしまうこともなく、ただあるがままの姿を見せつけるように聳え立っていた。

この老大木とひとつになってみたい気持ちに駆られて、意識を大木の内側へと滑り込ませた。

この瞬間、動物と植物という分類の概念が消え去った。

彼らの体内は、色は違えど、動物であるかのように絶えず流れが存在していた。

葉や茎の中では青や緑のチャクラが蠢き、這いずり回り、根では赤褐色のチャクラが、緩やかに落ち着きをもって流動していた。

機嫌の移ろいやすい空の泣き言や歓喜の全てを、言葉を発せずに、物静かに受け入れ、それらによって得たイメージを土に伝える、という役割を当たり前のように全うしていた。

Tree of Life が伝えようとしていることを、このとき初めて心臓の脳細胞が理解し、その教えが脊髄にこびりついた。

日本での退屈にまみれた日常ではいくら長い時間考えても理解できなかったことを、時間のない世界にたどり着いた途端に一瞬にして理解できてしまう怖ろしさ。

理解しているのは、Tree of Life が伝えたいことの半分にも満たないかもしれないけれど。

翌朝も、最終日の名残惜しさを紛らわすように、昨夜と同じようにゲストハウスの屋上へと繋がる階段を登った。

視界は広がった。

背後まで見渡すことができそう。

虫酸が走るように蟻がうじゃうじゃと蠢き、鳥肌を引き起こす。

ハエはゆっくりと手足をこすり合わせ、首を左右に振る。

レンガの裂け目にそびえ立つ入道雲は、白よりも美しい色となる。

この光景は、遠い未来にデジャビュとなる。