小さい頃から高校生ぐらいまで花粉蓄膿で年中鼻水かみまくりみたいな生活だったんだけどその代わりお腹はめっぽう強くてちょっと腐りかけた物飲み込んじゃったり地面に落ちたものを拾い上げて口に入れたりしても腸は余裕綽々でびくともしなかった。日本から飛び出して、馬鹿みたいな衛生状態の店で名前のわからない料理を喰っても、どこの牛から搾取したのかもわからない常温のヨーグルトを喰っても何事もなく帰国していた、筈だった。今までは薬を常備しているなんてダサい、という凝り固まってどうしようもないけど固守しなければならない個人的なプライドの下、薬や医療用品の類は持ち物に入っていなかった訳だけれど、今回は流石に印度、皆んな仲良くお腹を下すとの呪いが広がる印度ということで、amazon正露丸を買った。そこでも例の如く、水には細心の注意を払いつつ、けどしかしお店では出されたものを最大限の好奇心とともになんでも口に放り込んだ。よく思うんだけど、こんな時、というのは料理が出されて「これはさすがに飲み込まんほうがいいかな」というものが混じっていた時でも、未知の味に対する興味と日本人の特権である勿体無い精神とやらが感情を囃し立ててきて結局飲みこんでしまう。ついに正露丸の出番が来てしまったのは帰国する2日前くらいで、あの憎たらしい匂いを放つそれを毎食後3錠も飲まなければいけなかった。気に障る何かを科学技術でいくらでも取り払うことのできる時代になんでこんな頭の悪い匂いのする錠剤を飲まなければいけないんだと思っていたけど、この前母親と話していたら正露丸糖衣という革命的なものの存在を知った。早く教えてよ...。まあそれでも正露丸は偉大でしっかりと症状を押さえ込んでくれて、バンコク経由で日本にたどり着いた。今回の症状はあまりにも酷くてマジで水が出てきた。君は膀胱へ向かうべきではなかったの?と問いかけたくなるくらいの水。ああ俺のお腹は強靭だった筈なのに。少し発熱していたし過保護な税関職員に知られたら絶対でかい病院に連れて行かれ身包み剥がされ徹底的に検査されていただろうけど、ポーカーフェイスで通り過ぎ、帰宅。その後3週間ぐらい症状を引きずっていた。やっとのことで、つい何日か前に症状が治まったのをネタにこういうどうでもいいことを長い船旅の暇つぶしに書いている。案外、病院行って薬もらわずとも治るんだ、ということが分かった。薬を断固たる決意で飲もうとしないのは、恐らく未知の症状に対して自分の身体はどうやって対処していくかとか、身体にどんな反応が現れるのかとか、そういったことに興味があってそれを楽しんで傍観できてしまうせいだ、と他人の書いた文章を読んだり、他人と会話をしたりしながら考えていた。このことを帰省の時にいつも会う友達に話すと「私もこの前トルコでね、ーーーーーーー」とか、また他の友達は「私も薬持っていかんと思う。正露丸さえも持っていくかあやしいな。だってーーーーーーー」とかいう酔いが覚めると手元に残らないような会話が始まって俺は一生懸命喋る友達の仕草を笑いながらずっと眺めて、俺か友達のどっちかが死ぬまでこんな関係を続けられるなら、友達はもうこれで十分だ、と思った。