帰省のはなし

今年も、毎年の例に漏れず故郷で年越しを迎えた。

中学の友達とは拉麺と焼き鳥を食べに行った。

拉麺は平日昼間でも行列が絶えないぐらいの人気店で、今回は大晦日に行ったのに1時間近く北風に晒されていた。普段はぬくぬくとした場所に住んでいるから、指先が寒冷前線にびっくりして手のひらから取れそうだった。幸い、まだくっついている。1年ぶりぐらいにちゃんとした豚骨を食べたわけだけど、実家の料理を口にしたような安心感。ドーパミンが皮膚の隙間から溢れ出すぐらい美味い。ただ、美味いがちょっと臭い。美味いと臭いは紙一重。この店は高校へ行く通学路沿いにあって、いつも朝一豚骨の匂いを真正面から顔面に受けていた思い出。

焼き鳥はいつもの炭寅へ。これのために飛行機をとってもいいくらいの味。初期衝動を何度でも繰り返す味。セセリがよかった。あとヤマセミという焼酎もよかった。この店は少し格式が高いところなのだけど、前行った時に「皮10本!!」みたいに大衆居酒屋でするようなオーダーの仕方をして店員を焦らせてしまったことがある。今回もかなり阿呆みたいに注文をしていたら、店員が会計の際に「かなりがっつり召し上がりますね」と言ってきた。大人なオーダーをできるようになるのはいつになるだろうか。だって、おいしいんだもん。

高校の友達とは居酒屋で鶏皮を食べた。サイゼにも行った。彼彼女らとは近況や進路の話をした。俺ともうひとりは院進しそうで、あとひとりはお医者になりそうな感じだった。お医者の学校の話を聞いていると、学業で1日が埋め尽くされていたり、寮に門限までに帰ってこないとロックがかかって締め出されたりするそうで、俺には到底無理難題な生活だと思った。そして院進ポンコツ組は楽に働きたいとの一心で、しきりに将来の開院と俺らの雇用を提案し続けていた。働きたくねーーーーー。

先の中学の友達の親戚とは、馬を食べた。友達の親戚といっても年が近いわけでもなんでもなく、40ぐらい? の女のひとで、高校の時から友達と俺を誘ってよくご飯に連れて行ってくれる。その親戚は彼女を連れてきていて、そのひとも混じってに4人で食事をした。だいぶ酔ってからその場に合流したのと、親知らずが痛かったせいで、食べ物の味の記憶があまり無い。ただ、ビールを頼んだらプレモルが出てきたのがたいへん嬉しかった記憶がある。相手側のふたりはあまり会う機会のない俺に、大学での研究のことをやたらめったら質問責めにし、同じように俺は相手に今の仕事のことや彼女の故郷のことを喋らせた。高卒で学問なんかにはさらさら興味を持たない友達は、その輪に入れず退屈そうにしていた。それを見てか、彼女が俺と友達に「ふたりでいるときは何話すの」と尋ねてきたので俺らは二人揃って「しょうもないこと」みたいな感じで答えた。下品な話が半分以上だ。この友達は地元でいちばん仲がいい友達だ。彼の家族を含めて、死ぬまで付き合って行くことがもう既に確定している。そう言っても当たり前のように聞こえるぐらい仲がいい。本の話も、音楽の話もまったくできるわけではないのになぜか一緒にいる。よくわからない。そういう彼は、今の恋人といざこざしていて、その恋人に刺されるんじゃないか疑惑が出ているから、なんとか気の狂った女の刃先を躱して、また一緒に焼き鳥を貪りたい次第である。笑

母とは、うどんを食べに行った。「うどんはゴボ天にきまっとろーもん」と常日頃から思いながら生きているので、ここ5年ぐらいゴボ天うどんしか口にしていない。うどんの上のゴボ天は、衣がサクサクなうちにササッと食べてしまうのか、衣がふやけていくのとその油が出汁に流れ込んでいくのを渋々見届けながら麺の分量に合わせて食べていくのか、という論争は棺に入る時でさえも止んでいないだろう。

しかし母とは、家の食卓でご飯を食べている方が幸福だと思った。お味噌汁でもなんでもいいから、帰省の時には母が作った料理を求めている自分がいることに気がついた。というのも、帰省の初日、母が訳あって家に帰ってくることができず、その代わりに父が俺とおばあちゃんの食事の世話をすることになった訳だけど、料理の得意でない父は外で買ってきたものを並べているのがほどんどだったので、湯気は出てるけどなんだか冷たいなあ、と滅入り、俯きながら重くるしい箸を進めざるを得なかったから、母がやっぱり必要なのだな、と実感していた。

久しぶりに会ったおばあちゃんは、とっても元気そうだった。5月にいちばんのお友達がくたばってしまったときは、多分絶望とか喪失がのしかかって、食欲もなければ血色も悪かったけれど、今回は対照的に、箸がとまならければ、赤い服なんて着ちゃって、調子がすこぶる良さそうだった。生きれるだけ、生きて欲しいと思う。

年越しは、友達とふたりで神社で迎えた。山を少し登ったところにある神社に行ったから、凍ったような空気がまとわりついてきて、ここでも指と耳がポロっと落ちそうだった。参拝の列に並んでいた時、宮司さんに「鐘が鳴る前に参拝してもいいか」と尋ねているおじさんがいた。まったくどうしようもない奴だ。神社のような場所でも急ぐことをやめられないのは、彼が現代病に罹患しているせいかもしれない。

そんなこんなで2020年になった。今年も、血液が逆流するような刺激や経験を渇望することを忘れず、勇気を出して弱さと目を合わせ、なんとか生きていけたらなあと思う。