日中、色々と用事をこなして、そのうちのひとつの用事は半ば失敗に終わって、ため息交じりに厚紙みたいな雲で覆われた空を眺めながらガラムを吸って、家へ帰ってベッドで独り、無の状態に陥っていると、またあいつが唐突に心臓を掌握してきて、シーツが濡れた。来んなよ、と小さな声で呟いたりしてみたけれど、乗り移った邪気は瞬く間に全身に転移した。まだまだ、あいつに勝てるほどの強さを身に纏うには経験が足りないみたいだ。けれど今日はいつもとは違った。一通り布団に顔を埋めた後にYouTubeを開いてみると、KIDがいた。KIDが宮田の顎をカチ上げたり、村浜をギラついた目で殴り倒したりしていた。それを観ているといつの間にか少しばかりは気が晴れていて、30分どん底にいるだけで済んだ。そうだ、KIDも尊敬している人のひとりだった。小学生の頃、大晦日K-1HEROSのマットに殴り込んではワンパンKOで相手を地面に叩きつける彼の強さに憧れ、人間の心の奥底を見抜けるようになった高校生の頃には、彼の優しさに憧れた。彼のインスタで癌になっていることを知った時は、KIDならそのくらいでくたばる筈はない、と思って特に悲観するようなことはなかったけれど、公表から其れ程間髪を開けずにKIDは俺らを見守る存在になった。そのことを知ったのは台湾の飯屋で、いつもなら熱いうちに完食するはずの台湾料理だけど、どう足掻いても箸が進まずに、食べ終わる頃には熱が冷めて白い油が吐き気を催させた。あれからもう1年数ヶ月経ったけれど、彼が俺に与えた影響というものは、いくら価値観が推移していこうが、誰と共に生活していようが、俺の骨格の内側に根を張っていることに変わりはなく、誰も再現することなど不可能なほど美しい放物線を描いた右フックで相手を失神させる映像を、この先何百回、何千回と視力が尽きるまで眼球に叩きつけることになるだろう。

KIDが降りてきてくれたおかげで底から脱した俺は、最近買ったヘッドフォンで、長いこと聴かずにいた『I Believe』を流しながら、真っ黒になったアスファルトの上を散歩した。この瞬間は、何故か寒さを感じなかった。