忘却

年間で本を幾冊も読んだり、好きな人のブログを無数に読み漁ったりして、その人たちが捨て身になって、身体をボロボロにしてまで俺らに伝えたかった言葉を全身で受け止めることができても、日を跨ぐと、いとも簡単に、その言葉を記憶の渦中から抜き出すことができなくなっていて、茂みの中からやっとの思いで見つけ出した宝物をどこかに無くしてしまったような気持ちに陥ることがよくある。まあ、有形のものでも無形のものでも、永遠に微塵も欠けることなく存在し続けるものなんて無いって、わかってるよ、わかってる。ただ、その真実に真っ向から立ち向かうように、自分の心に刺さったものがずっと失われないでほしい、という気持ちが芽生えてくるのを黙殺しておくことはできない。こうやって永遠を願う気持ちは日常風景においてもよく捉えることができて、愛する人が死ぬと哀しみに暮れるのも、人間が音楽や絵画や文章を創り上げようと試みるのも、きっとそれのせいだと思う。こういった、気持ちと現実の食い違いに対するせめてもの気休めとして、一度でも心を動かされた言葉は全て無意識の内に仕舞い込まれていて、それらが上層まで登ってくることは一生無くても、逃避するしかないくらいに追い込まれた時にそっと内側から支えていてくれたり、何か大きな決心をする時のきっかけになっていたらいいなあと暗示をかけている。きっと、そうなっているに違いない。