南からの香り

2020年2月29日現在、コロナと命名されし原核単細胞生物が地球を征服せんとし、アジア圏を中心にその生息域を拡大している。今日のLCCの発展や、明らかにこの星のキャパシティを超越した人口密度が助長し、拡散の速度たるや日本政府の想定より×10程であっただろう。1月にBBCが全世界へ向けて垂れ流した、封鎖されて極限までひとけの押さえ込まれた、殺伐とした武漢の映像を観て、カミュの『ペスト』を想起せずにはいられなかった。こんな中空港へと赴き飛行機に搭乗して各地へ旅行している無防備で楽天的な友達の姿をネットで眺めてみては、半年に一度の、恒例になった逃避の旅を中止せざるを得なかったこの無念を胸中で弄ぶばかりである。日常においてふとした時に嗅覚を刺激してくる、なんとも形容しがたいが、想い焦がれるようなデジャビュを脳内に充満させる薫香や、時たまに体内を激しく駆け巡る緑の香りなどに触れる機会を得ては、行きたい気持ちを無理に押し付けなかったら、とも思うのだが、矢張りただでさえアジア人特有のむさ苦しさで熱りかえった空港へと今わざわざ足を運ぶのには気が引けるし、近い将来に来訪するであろう旅の為に貯蓄を増やしておきたいしで、今回は飛ぶのを止しておいた。そのせいで、読書の量が当たり前のように増加していっている。カミュ漱石、三島、コールドウェル、ジャック・ケルアック...。後悔したのが、ケルアックなんて読んでいるとあの無鉄砲で突発的で、それでいて何かに夢中になるうちに瞬く間に過ぎ去る青年時代のような繊細な儚さが胸まで昇華してきて、結局旅へ出たい気持ちを駆り立ててくる。こんな、どの方角へ投げつけても消化不良になりそうな衝迫を、目前のブッダに打ち明けてみる。彼は何も返答しない、が、無言という重なる苦悶によって得た真言によってこの世の全てを安泰へと導く。