ここ最近仲良くなった女性を初めて家に上げたら、「なんで本棚置かないの?」という、一人暮らしを始めて以来、鼓膜が馴化するほど幾度となく言われてきた言葉をまた聞かされる羽目になった。確かに机の上や窓台やカメラのドライボックスの上や押入れの中みたいなありとあらゆる場所にありとあらゆる本が散らばっているわけだけど、全く広いわけじゃないワンルームのスペースが大きな木材の塊で占有されてしまうのが嫌な気がして、さっきの会話の最後に「これからも置くつもりはないよ」と付け加えておいた。その言葉に納得したかしていないか判別のつかぬ表情を横目に俺は、やっぱりあるに越したことはないかな、なんて考え始めた自分の存在に気がついて、その地に足つかない気の移ろいやすさに苦笑いした。

押入れの中で高く積み上げられた本の最下層にある人体解剖図が急に必要になるといったことが昨日実際に起こったわけだけど、こんな時こそ本棚という革命の風を自ら部屋に迎え入れる時である。いっそのこと、押入れを改造して本棚にしてしまうか?? そうすれば、今まで思い悩んでいた部屋のスペースのことを一切置き去りにして考えることができる。そうすれば、昨日みたいにわざわざ積読を掘り起こさずとも一瞬にして目的の本にたどり着くことができる。そうすれば..........。枚挙に遑がない。

しかしこうして本や写真集やらが膨大に増えていくことで、恐らく定住するようなタチではない俺が、次第に身動きが取りづらい状態へと近づいていっているようで、なんだか喉に魚の骨が引っかかったような気分になることが度々ある。常に身軽になりたいと思っているけれど、俺が好き好んで集めているものたちは裁断してPDFで読むようなものでもない。KINDLEなんぞ洗脳された奴らが手を出すものだ。身軽になりたいという思いと、愛してやまない沢山のものたち囲まれていたいという思いは、相殺し合う運命なんだろうか。そして、最近友達から fender mexico squier series の年季が入ってかっこいい黒のテレキャスを貰ってしまった。また一歩、定住生活に近づいた。これじゃあまるで養鶏場のブロイラーじゃないか。重い体では、遠くへ行けない。