レジスターに不恰好な半透明の仕切りが設置されたスーパーで買い物をしていた。頑固そうで他人との距離感を未だに掴めていなさそうなお爺さんが何も持たずにレジスターに向かって歩いて行ったかと思うと、一言、「煙草ちょうだい」と。そのままスタスタと帰途を辿っていった。こんな状況下でも、科学になんぞ構っていられるかよ!という態度で死に向かって我が道を貫いていく姿勢に惚れ惚れとしました。エビデンスよりもアティチュードの方に心を奪われてしまうな。理系が何言ってんだろうな。ドミンゴがたいへん美味いから止められない。タイムマシンがあったら昭和に飛んで敷島を嗜んで帰ってくる、というのが夢。

 

 

時間が有り余っているので昨日はずっと弾こうと思っていたtricotの『potage』を朝から練習しまくっていた。繊細な曲。女性の芸術に対するああいったアプローチをとても羨ましく思うことが稀にある。前tabを確認したらcapo3とあって、俺capo持ってねーなーと思ってそのまま放置していたんだけど、ついに買いました、capo。溜まってたサウンドハウスのポイントで。弾いてると指をあっちゃこっちゃ動かさんといけんので脳回路がショートしそうだった。あんなのをライヴで2時間も続けるのはどうかしているな。高校生の頃、G-FREAK FACTORYってバンドを観にQueblickというライヴハウスに通っていたんだけど、その時に対バンで来ていたtricotを一度観たことがある。売れかけ、といった時期だったのかな。イッキュウが可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くて可愛くてずっと見惚れていた。スポットライトが当たったイッキュウのあの姿は一生記憶から消去されることなく神格化されていると思う。ギターも、ちゃんと見とくべきだった。。。そんなQueblickだけど、ネットでSave the Livehouseというプロジェクトを見つけたから、微力ながら支援した。あんなにも素晴らしい場が失われては、たまったもんじゃない。

 

 

けっこう前ネットで人と話していると相手が、ごぼうは何にでも合う、みたいな話を持ちかけてきたからそんなわけあるかということで反論しようと思って絶対的にごぼうが合わない料理を考えてみたけど決め手となるような料理名を思いつかずに悔しかった思い出がある。ごぼうが絶対合わない料理って何ですか!!!!!

無用の用

故郷でも疫病が蔓延してしまっていて、通ってた高校のすぐ近くの病院でも院内感染が起こったらしく、見えない敵は見えない角度から脆い人間の身体を蝕もうと企んでいる。ネットをたらたら眺めていると、高校の同級生の父親はこの疫病に葬られてしまったみたいで、なんだか只事じゃないことになっているな。けど引き籠って安牌を切ってばかりいるのは到底耐えられることじゃないから、海風を浴びに行ったりしながら、キノコ雲みたいに空中に漂っている不穏な空気に飲み込まれて黒い雨に打たれるのをどうにか回避している。こんな中、疫病に立ち向かおうとして張り切りすぎたのか、間抜けとしか捉えようのない言動を飛沫とともに撒き散らしている大人がちらほら散見されるが、人間ができることは唯ひとつ、待つことだけだと思う。猛威ってものは、理不尽なタイミングで場を掻き乱し、文明の飽和点を露見させては唐突に立ち去ってゆく。そういうものだ。台風や津波、山火事がそうであるように。ただ猛威が過ぎ去った後、焼け落ちて黒焦げになった燃え殻ばかりで視界を埋めてしまうのか、確実に訪れるはずであった理想とする生活が崩壊したことに腹をたてるのか、それとも惨禍から身を躱した綺麗な華の姿に意識を向けるか、というところで人間の本性が現れるんだろうな。さっさと見えない敵がひらりと姿を消すのを願うばかりだ。海外に行きてえんだ俺は。

海風を浴びに行ったと言ってみたけれどここ最近遠出をしたのはそれくらいで、他の時間は相変わらずギターをジャカジャカしてみたり、本を読んでみたり。久方ぶりに太宰を手にとってみた。『正義と微笑』。ページをゆったりと捲っていると主人公の学生時代の描写に突き当たり、それに影響されて自分が今までに積み上げて来た勉学のことを回想していた。

中学校までの勉強は、なんとなくペンを走らせたら点数取れちゃった、みたいな感じだった。それより崇高でも、卑劣でもなかった。何か特筆して学ぶ意欲があったり興味が沸々と湧いてきたりといった内発的動機に駆り立てられて取り組んでいた訳ではなく、単なる点取りゲーム、といった捉え方をしていたと今になって思う。中学校で良くも悪くも偉そうに教壇に登って教えていた先生には2,3人を除いて全く興味が湧かず、俺はほとんどの先生に対して、ほら点数とってやったぞ、といった感じの態度をとっていた。あまり表には出さず、内心。そんなエゴばっかりの大人に関心がなかった反面、友達とは腹がよじれるぐらい爆笑し合う毎日で、仲がいい班のメンツでは、牛乳にふりかけを混ぜて回し飲みして騒いだり、よくわかんない魚の名前で渾名をつけて呼び合ったりしていた。俺の渾名はネズミゴチ、だった。笑 中学の時には塾にも通っていて、勉学の大部分はそこで身につけていた。塾の先生たちはトークスキルがずば抜けていて、しょうもないことや堅苦しい歴史のことなど、ありとあらゆることを爆笑に変えて話してくれていた。あんなに面白い大人に出会うことはこの先滅多に無いと思われる。こんないい大人のおかげで塾ではずっと一番上のクラスに留まっていて、地域の公立で一番上の高校に進んだ。高校に進んだ途端、数ヶ月前まで天まで届かんとするぐらいの勢力だった勉学に対する意欲が急激に失われていった。きっかけはよく覚えていないけれど、学校でやらされているような勉強は意味があるのかとか、もっと内なる興味関心に則して勉強をしたいとか、そういうことを思うようになっていった。点取りゲームは終わってしまった。一応最低限、赤点をとるかとらないか程度の勉強はしてみるものの矢張りそこまで興味を持てず、しかし何かを学ぶ意欲はずっと離さないでいたので、この時から興味を感じた全ての本を浴びるように読み始めた。親戚の家から持ち帰ってきたカビ臭い全集で近代文学に傾倒したり、生物学の古典的名著を読み漁ったり、精神世界に足をつけてみたり。漢文の文法は大っ嫌いだったけど、『荘子』のストーリーは大好きだった。この中の、”樗木”に関するお話は人生に多大なる影響を与えたといってよい。このように本を読んで未知の世界を自分の中に取り入れる時間と、友達とおしゃべりしている時間だけが価値あるものだった。周りにはいろんな同級生がいて、まあその中のほんの一握りとしか仲良くなってない訳だけど、これは一生関係が続きそうだなと思う人もいれば、この人には俺が生涯かけて努力して勉強しても追いつくことはないんだろうなと思う人もいた。けどこんなに才能をもった、自分より上の上の世界の人間と沢山交わったことで、自分の中に根を張っていた高慢なエゴみたいなものの大部分が悉く抜け落ちたと思う。そんなエゴがこのタイミングで抜け落ちずに、二十歳を超えた今現在の生活にまで持ち込まれていた時のことを想像すると身震いせずにはいられない。大学を受験する直前までは専ら本ばかり読んだり遊びに出かけたりで、学校で学ぶことを半ば放棄していた俺の成績はそれほど時をかけずに底が見えてきて、それど同時に親からの信頼も失われていって、なんだこれまでの信頼はその程度のものだったのか、なんて思っていた。高校の先生に関しては強烈な記憶がひとつあって、始業式だか終業式だか忘れたが何かの集会の時に先生がひとりやふたりステージに登壇してスピーチを行う習慣があったんだけど、その時スピーチをした先生は開口一番、「最近皆課題の提出率がやけに良好だけど、本当にそれでいいのか?」といった旨のことを言い出した。続けて、「課題の提出なんてどうでもよくなるくらいに熱中する何かはないのか?」と。衝撃だった。耳に入ってきたと同時に心に刺さったのが感ぜられ、今でも記憶に残り続けている言葉のひとつとなっている。

こんな長ったらしい記憶を回想するきっかけとなったのは、『正義と微笑』の序盤に出てきた文章で、総括すると「無用の用」を意味するものだった。つまり、日常の役に立ちそうにない勉強が将来の人格を形成していくのだ、と。その文章を読んだ時、高校の頃の勉学に対する態度を少し後悔したけれど、あの頃読書に入り浸っていなければ今在る自分は存在しない訳で、あれはあれで自分がカルチベートされるのに不可欠だったんだろう。何かを逃さないと、何かを得ることはできない。

そして「無用の用」のような古来からの教えが水牛に乗って悠然と存在しているおかげで、余裕を失って有用のものだけをつい優先してしまうような時に、正気に舞い戻るためのきっかけを掴むことができる。”樗木”のような生き方に近づけたら、これ以上の幸せはない。

夜明け

映画のように完成され尽くしたストーリーの夢を見た。記憶はあてにならないから細かいところは忘れたけど。数あるデジャビュの夢のひとつ。回数を経るごとに話の完成度が高まっていく。日頃獲得しているがらくたみたいな経験は、ただのがらくたとして捨てられていくだけではなくて、丁寧にだか雑然にだか知らないが、何ひとつ欠けずに無意識の中に積み上げられていっているんだと思う。そうじゃないと、あんなロマンチックな夢が完成に近づいていく過程なんてものにこうして立ち会っていけている筈はない。泣いていた、夢の中で。完成されたもののみが持つ高貴な美しさに感化され、怖気付いて、泣いていた。こんな経験をするのは初めてだった。ストーリーにピリオドが打たれて目が覚めても、泣いていた。美しい朝だった。

浮遊

意欲の湧いてこない日々が続いている。時計台の鐘が空間を打ち鳴らすような一定のサイクルで欲が出現してきては、一瞬の豊満を得て消えてゆく。その繰り返し。熱を帯びていない、客観的な生活。愚劣なマジョリティの流れに乗るなんてことは決してないが、心情は都会の人混みに押し流されて訳のわからない掃き溜めみたいな場所に向かってしまっているような感覚だ。言葉では上手く表しきれない。

ここに辿り着くまで20分。長い。Sailor Jerry のストレート。ローラーで巻いたドミンゴ

かつて地球に存在していた人や、今も存命している多くの人たちが口にするように、結局、群衆に乗っかってしまうのがもっともラクな生き方だと思う。日本という国においては。「他の人はもう全員海に飛び込みましたよ」と言われればそれに従って飛び込んでしまうような国民だ。こんな奴らと同じ方向を向いて歩いていれば、肩がぶつかり、それが発端となって一生着地点の掴めない対立が生まれることも自ずと減っていくだろう。冷めきったきつい目つきで一瞥されることもあるまい。奴らは、冷めきっているんだ。

こんな冷めきった奴らみたいに、考えることを放棄したくはない、と何度でも思う。くそみたいに遠回りになってもいいや。躁鬱の大波に飲まれてただただ耐えることしかできなくなってもいいや。考えることを放棄してしまうことが、一番恐ろしい。心臓は動いているけど、熱を失ってしまっている状態になることが、一番怖い。そんなもの、人生のカウントのうちには入らない。

こんなことが常日頃から頭の片隅に座り込んでいるのに、意欲の湧かない日々が繰り返される。最近聴いている The Jam はモッズスーツとリッケンバッカーの身なりで殴りかかってきて、Chet Baker は心の内の哀愁を最大振幅まで増幅させ、それを悦へと転換させた。ただ、Sex Pistols を初めて聴いた時の衝動には優に及ばない。最近読んだ、三島由紀夫の『孔雀』や『三熊野詣』は得も言われぬ美しさを秘めていた。ただ、ヘッセの『知と愛』を読み終えた時に湧いてきた、あの沸々とした神気のようなものは感じ得ない。熱気が枯渇してしまっているのだろうか? それとも、ただ単に、本物や新しい感性に出会えていないだけなのだろうか?

空洞のみが頭を支配する。これでは、いくら言葉や写真を取り入れてみたところで受け止めきれているか分かりやしない。まるで、底の見えない真っ暗な洞穴に石を投げ込んで遊んでいるみたいだ。自分という存在の本質や、そもそもこの世の存在の本質が空洞であるとしたら、こんなにまで満ち足りない気持ちに遭遇してしまっているのは何故だろうか? 目の前の真実を限りなく吸収し、自分の心と融合させるために、空洞があるんじゃなかったのか? それなのになぜ、空洞を埋める必要などひとつもないのになぜ、空洞を埋めたいという欲求を満たすことによってしか満足感を得られることができないのだろうか?

 まったく、矛盾している。どうしようもない。ラムを流し込んでやり過ごす。

南からの香り

2020年2月29日現在、コロナと命名されし原核単細胞生物が地球を征服せんとし、アジア圏を中心にその生息域を拡大している。今日のLCCの発展や、明らかにこの星のキャパシティを超越した人口密度が助長し、拡散の速度たるや日本政府の想定より×10程であっただろう。1月にBBCが全世界へ向けて垂れ流した、封鎖されて極限までひとけの押さえ込まれた、殺伐とした武漢の映像を観て、カミュの『ペスト』を想起せずにはいられなかった。こんな中空港へと赴き飛行機に搭乗して各地へ旅行している無防備で楽天的な友達の姿をネットで眺めてみては、半年に一度の、恒例になった逃避の旅を中止せざるを得なかったこの無念を胸中で弄ぶばかりである。日常においてふとした時に嗅覚を刺激してくる、なんとも形容しがたいが、想い焦がれるようなデジャビュを脳内に充満させる薫香や、時たまに体内を激しく駆け巡る緑の香りなどに触れる機会を得ては、行きたい気持ちを無理に押し付けなかったら、とも思うのだが、矢張りただでさえアジア人特有のむさ苦しさで熱りかえった空港へと今わざわざ足を運ぶのには気が引けるし、近い将来に来訪するであろう旅の為に貯蓄を増やしておきたいしで、今回は飛ぶのを止しておいた。そのせいで、読書の量が当たり前のように増加していっている。カミュ漱石、三島、コールドウェル、ジャック・ケルアック...。後悔したのが、ケルアックなんて読んでいるとあの無鉄砲で突発的で、それでいて何かに夢中になるうちに瞬く間に過ぎ去る青年時代のような繊細な儚さが胸まで昇華してきて、結局旅へ出たい気持ちを駆り立ててくる。こんな、どの方角へ投げつけても消化不良になりそうな衝迫を、目前のブッダに打ち明けてみる。彼は何も返答しない、が、無言という重なる苦悶によって得た真言によってこの世の全てを安泰へと導く。

06122019

坂本慎太郎を観た。桜坂セントラル。

楽しみにしていた彼の服装は、ライブ直前に話していたヨレヨレののTシャツじゃなくて、ヨレヨレのジャケットだった。

ライブの中盤頃になって、

「そのジャケットの下に来ている白いシャツは肌着なんじゃないか」

とか

「いやいやジャケットの下に肌着なんか着るかよ」

とか

坂本慎太郎ならそれも有り得るかも」

とか思ってしまった時間が結構あったので、何曲かまともに聴けなかった。ライブ中に何してんだよ、まったく笑。

あとベースの女性がとっても素敵で、3分の1くらいはそっちの方に見とれていた。無口で、多くを語らない大人の音だった。一瞬一瞬の仕草や音に深みがあった。これを機に、OOIOOをダウンロードしてみた。とても理想的な音楽との出会い方をしたと思う。

曲は、いちばん最後にもってきた小舟が良かった。

彼の魂は、人間が今よりももっと悟りを開いている遠い未来に存在していて、そんな遠い遠い上の世界から言葉を紡いで俺たちに真理を気づかせてくれたり、ライブの時間になると妖怪みたいな姿に化けて下まで降りてきてくれたりしているような、そんな想像をしていた。ライブで得た感想を言葉にすることほどかっこ悪いことはないな、と今思う。頭の中のイメージを、言葉を介さずに誰かに伝えることができたらいいのに。

彼らが捌けたあとは、暗闇から落ちてくる大粒の雫にもお構いなしにハイボールをカラカラしたりして、兎に角幸せな日だった。今年のうちでは3本の指に入るほどの幸せな日だったと思う。こんな幸せな日を一生忘れることなんてない。


 

01122019

<インドで書き残したメモ、もしくはインドが俺に書き残したメモ>

 

インドの人がストーリーにカレーを載せるとカレーだらけのストーリーになるのかな。スワイプを何回も繰り返してもカレー、カレー。スマホのマイクの中からカレーの匂いがこみ上げてきそう。

 

観光地では、訪問者と現地人との間で信頼関係が成り立っていない。小さなスナックを一緒に食べているだけの時でも、相手が"no money"と言い続けていたのがとても寂しかった。

 

曲がりくねったガンジス川に首を絞められる

 

心臓の鼓動が早まるのは、脳の鼓動によって放たれる波動が強まるからだ

 

一切を受け入れるために、空洞があるのか

 

もし犯罪を犯して顔写真が全国の皆々様にばら撒かれるようなことがあっても、「この人怖いね」と物心のついていない少女に嫌な顔をされたり、「見てると寒気がするね」などと知らない主婦に言われたりしない表情の顔写真が出回るといいな。

 

チャパティに乗っけたカレーとピザは似ている、と思った

 

以上。スマホのメモの消化。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

12月に入った。ノベンバの『ANGELS』と『Hallelujah』がapplemusicで再生されることのないまま11月が過ぎ去った。

秋刀魚が食べたくなってグリルで焼いて食べた。秋はもう終盤。秋刀魚を食べるのも今年はこれが最後かな。

包丁を突き刺して切れ目を入れた秋刀魚をグリルの中に入れようとした時、手が滑って生臭い秋刀魚が床にボトりと落ちた。部屋の照明を反射した身がギラリと光る。この瞬間から、人間の体が光り物みたいな感じだったらどうなるだろう? という妄想が頭を駆け巡った。もしそうなったら、夜道で轢かれて死ぬ確率は確実にゼロに近づくなあとか、海に行ったらドン引きされるか物珍しさに記念撮影を永遠に求められるかのどちらかだからTシャツを脱ぐときは周りの人相をよく見なければいけない、とかいうことを考えた。きっと頭はこんなことを考え出すために大きく進化したのではない。

 焼きあがった後に突きあがってくる秋刀魚の青臭さを早く部屋から追い出したくて、いつにない迅速さで台所を片付けた。

今年も秋が終わった。

秋、あと何回来るだろう。

無防備な自分を求めて

大好きな写真家に三井昌志という人がいて、この人がTwitter

「あなたが遭遇した親切なインド人、正直なインド人」のエピソードを募集します! というツイートをしていて、皆それぞれが、インド愛を更に加熱させるきっかけとなったであろうエピソードを無数に披露していた。

俺も約半年前の記憶を捲り返すと、コルカタから西へと向かう汚ねー寝台列車で真向かいに座っていたおじさんが、ひとりでスコールを眺めながらぼけーーーとしていた俺に「どこで降りるの?」とか「楽しめよ!」とか言いながら、持ってきていたカレーを半分も!分けてくれて一緒に喰らいついた思い出が蘇った。

やっぱり、大きな都市や観光地では悪を隠し持って近づいてくる人もいて...。そういった人たちのせいでそういう場所ではまず最初に警戒心を携帯して人に接しなきゃならないんだけど、見知らぬ人たちが与えてくれた親切が偽善ではなく、本物の親切だと気がついた時は、要らぬ疑いをふっかけていた自分をすげー攻め立てたくなる。

他にも、ここじゃ絶対書けねーようなくだらねー話で2時間近くも爆笑し合ったおっちゃんたちとか、頼んでもねーのに「ガイドするから着いてこい! 金なんていらねーから!」って言ってズカズカと勝手に先に進んで行くおっちゃんとかのことを思い出した。なぜかおっちゃんばっかりだな...。

しかしこう思い返してみると、距離の近い人間関係を好んでいるのが俺の本当の姿なのかな、と思う。あと、普段は喋るのめんどくせーって思って自発的に言葉を発すことは少ないけれど、本当は喋ってお互いの全てをぶつけて笑いあっているのが好きなのかも。じゃあなんで普段生活している環境ではそうやって振る舞えないのかって今日ずっと考えを巡らせていたけれど、これだ!って確信をつく答えは見つからなかった。まだまだ、自分のことを理解できていないな。これからもっともっと、ガードを下ろした自分に向き合う時間を作る必要がありそうだ。

忘却

年間で本を幾冊も読んだり、好きな人のブログを無数に読み漁ったりして、その人たちが捨て身になって、身体をボロボロにしてまで俺らに伝えたかった言葉を全身で受け止めることができても、日を跨ぐと、いとも簡単に、その言葉を記憶の渦中から抜き出すことができなくなっていて、茂みの中からやっとの思いで見つけ出した宝物をどこかに無くしてしまったような気持ちに陥ることがよくある。まあ、有形のものでも無形のものでも、永遠に微塵も欠けることなく存在し続けるものなんて無いって、わかってるよ、わかってる。ただ、その真実に真っ向から立ち向かうように、自分の心に刺さったものがずっと失われないでほしい、という気持ちが芽生えてくるのを黙殺しておくことはできない。こうやって永遠を願う気持ちは日常風景においてもよく捉えることができて、愛する人が死ぬと哀しみに暮れるのも、人間が音楽や絵画や文章を創り上げようと試みるのも、きっとそれのせいだと思う。こういった、気持ちと現実の食い違いに対するせめてもの気休めとして、一度でも心を動かされた言葉は全て無意識の内に仕舞い込まれていて、それらが上層まで登ってくることは一生無くても、逃避するしかないくらいに追い込まれた時にそっと内側から支えていてくれたり、何か大きな決心をする時のきっかけになっていたらいいなあと暗示をかけている。きっと、そうなっているに違いない。

日中、色々と用事をこなして、そのうちのひとつの用事は半ば失敗に終わって、ため息交じりに厚紙みたいな雲で覆われた空を眺めながらガラムを吸って、家へ帰ってベッドで独り、無の状態に陥っていると、またあいつが唐突に心臓を掌握してきて、シーツが濡れた。来んなよ、と小さな声で呟いたりしてみたけれど、乗り移った邪気は瞬く間に全身に転移した。まだまだ、あいつに勝てるほどの強さを身に纏うには経験が足りないみたいだ。けれど今日はいつもとは違った。一通り布団に顔を埋めた後にYouTubeを開いてみると、KIDがいた。KIDが宮田の顎をカチ上げたり、村浜をギラついた目で殴り倒したりしていた。それを観ているといつの間にか少しばかりは気が晴れていて、30分どん底にいるだけで済んだ。そうだ、KIDも尊敬している人のひとりだった。小学生の頃、大晦日K-1HEROSのマットに殴り込んではワンパンKOで相手を地面に叩きつける彼の強さに憧れ、人間の心の奥底を見抜けるようになった高校生の頃には、彼の優しさに憧れた。彼のインスタで癌になっていることを知った時は、KIDならそのくらいでくたばる筈はない、と思って特に悲観するようなことはなかったけれど、公表から其れ程間髪を開けずにKIDは俺らを見守る存在になった。そのことを知ったのは台湾の飯屋で、いつもなら熱いうちに完食するはずの台湾料理だけど、どう足掻いても箸が進まずに、食べ終わる頃には熱が冷めて白い油が吐き気を催させた。あれからもう1年数ヶ月経ったけれど、彼が俺に与えた影響というものは、いくら価値観が推移していこうが、誰と共に生活していようが、俺の骨格の内側に根を張っていることに変わりはなく、誰も再現することなど不可能なほど美しい放物線を描いた右フックで相手を失神させる映像を、この先何百回、何千回と視力が尽きるまで眼球に叩きつけることになるだろう。

KIDが降りてきてくれたおかげで底から脱した俺は、最近買ったヘッドフォンで、長いこと聴かずにいた『I Believe』を流しながら、真っ黒になったアスファルトの上を散歩した。この瞬間は、何故か寒さを感じなかった。